Kathy's Diary

不定期でひそかにやってます。

塞ぐ (便秘と歯痛のことなど)

「便秘」と「歯痛」と「腰痛」は当事者じゃない限りその苦痛は軽んじられている傾向にある気がしてならない。(腰痛は未経験だが。)

悲しいとき、というか泣いてるときの体と、便秘のときの体って似てるな、と気づいた。(便秘の度合いにもよる。)たぶんセロトニンがどうとかそういうことなんだろうけど。

便秘のときに飯を食うというのは、嗚咽しながら嚥下をするようなものなので、難易度Bである。実際に泣いているときというのは、泣くに至るレベルの感情に満たされているので、そのときの体を意識するということはないのだが、便秘のときはその感情に満たされているという状態ではないので、体の辛さというのが直にわかる。泣いてる体というのは結構体にストレスがかかっているとわかった。

あとこれもセロトニン云々だと思うが、不腸時(←造語)ってやや感覚過敏になっていて、音が骨まで響いて来るようでたまらないし、光を見ると目が痛い。自然光より電気の光が特に。行灯なんかが欲しくなる。

便秘は腸が詰まるのでガスが抜けずたまっていくわけだが、私はいわゆる精神的苦痛のタイプも傷つく、とかよりは暴発(爆発ではない)しそう、という感じで、体と精神の苦痛スタイルが同じってか、などと思った。

 

私は歯医者によく世話になるのだが、ここで気づいたのが、私は痛みには強いが苦しさには弱いということだ。

虫歯の治療をする頃には大抵神経まで菌がいっちゃってることが多いのだが、痛みというのは無感覚ゾーンみたいのをその中に見つけることでダマシダマシみたいなことをすることができるが、ずっと口を開けていなくてはいけないとかそういう(息)苦しさとかのがストレスがすごい。苦しいというのはとにかく苦しい。苦しさというのは感覚に回避スポットみたいのが無いような気がする。

 

 

基本、人の声が聞こえすぎる。その時のコンディションにもよるが。微細な音でも拾ってしまうっていう意味ではなく、たとえば音楽においては音質には鋭くないが、声で言ってることの出処というかその場面というかそういうものが直に入ってくる。それで、音楽ならいつ聴くか、誰のを聴くかって選べるけど、不意に入ってくる不特定の声の情報量がすごく多いと気づいた。

感情100%のせて喋るタイプの人とその声が苦手。神経を逆撫でされる様というか。自分の体が緘黙的だからすぐさま発露できるひとへの羨望もあるのかもしれないが。