Kathy's Diary

不定期でひそかにやってます。

死語 (昭和生まれ)

我々昭和生は昭和世代の呼気を吸っている(親などから)世代で、ぼうりょくそのものではないがその余波を受けている。それに応じる身体性とか懐疑的な物の見方など。
新時代への移行期の「勝ち負けがフラットになる」とか「危険因子がすべて取り除かれたり禁じられたりする」ことに最初は私の中に違和感というか異を唱えたい感があったのは事実。いったら自分が体をぶっ壊すまではあった。

で新時代に入り、
「安寧」というと、へいわぼけとかキレをなくすとかそういったイメージで解釈されがちと思うが、それは我々が真の安寧を知ろうとしていないだけなんじゃないか、と思うようになった。(苦しみが長かったから安らかであるということに体が反応しにくいのだと思う。)そこには我々の知らない世界がある。
「平和を当たり前に思ってはいけない」、「苦しみを決して忘れてはならない」と今まで伝承されてきたが、そのままでは先に進めないという分岐点に今来ているという気がしている。


「愛と憎しみは表裏一体」のような箴言?に引っかかりを感じる。
「愛」と「憎しみ」は質も格も違う。じゃあなんでそんな言葉があるかといったらそう言わなくてはならない時代があったから、感情も猛然として整理するいとまもなくひたすら前に進まなくてはならなかったからなのだと思う。

終わってない読書

ふと、ねじクロ文庫を手にとって開いたのが、260頁「とんまな雨蛙の娘」だった。茶碗蒸しがマカロニグラタンになるというところは最近読んだ『ループ』という本の「瞬間と瞬間は独立している」「瞬間は不連続」を思わせた。

ねじクロは読書体験だったから今読んだとしてもそれはもう通り過ぎていると思っていたけど、当時(20代後半)の読書体験だったから当時では回してない視点、がまだ残っているので、読み終わってはいなかった。って気づいた。

ついでに当時とくに恐怖を感じた488頁〜を読んだのだが、今は淡々としていた。今そういったものは自分にとっての感受の禁止区域になっているから作動不可のため、たださらっと字を追うことになったのだろうと思う。

塔の窓(2022.8記録)

私の最初は外界と交流できなかった。草花とか動物とか他人に興味持てなかった。世界に自分の思念しかなかった。しょうこう閉じてるというかもしくは顕在している部分がなく地下に埋まっているみたいな。頭の上で人が歩いているという感覚。(でも時々奇跡的にひらけることもある。)自分はどういうわけかそっちに行けない。自分がこの世にしかと生きている感覚を持てなかった。私を繋いでいたのは主に虚構だった。1日の間に目覚めることもなく夜が来て眠らなくてはならないのが無念だった。

それが基本的にあってそこに自分の猛悪問題とかコンフューズとかコンプレックスとかが絡まり合ってどうにもできなかった。

最近それらが取り外れて自由になった。こんなに何にひらいてもいいんだなと思った。本当にやっと色が見えだした時、でした。

塞ぐ (便秘と歯痛のことなど)

「便秘」と「歯痛」と「腰痛」は当事者じゃない限りその苦痛は軽んじられている傾向にある気がしてならない。(腰痛は未経験だが。)

悲しいとき、というか泣いてるときの体と、便秘のときの体って似てるな、と気づいた。(便秘の度合いにもよる。)たぶんセロトニンがどうとかそういうことなんだろうけど。

便秘のときに飯を食うというのは、嗚咽しながら嚥下をするようなものなので、難易度Bである。実際に泣いているときというのは、泣くに至るレベルの感情に満たされているので、そのときの体を意識するということはないのだが、便秘のときはその感情に満たされているという状態ではないので、体の辛さというのが直にわかる。泣いてる体というのは結構体にストレスがかかっているとわかった。

あとこれもセロトニン云々だと思うが、不腸時(←造語)ってやや感覚過敏になっていて、音が骨まで響いて来るようでたまらないし、光を見ると目が痛い。自然光より電気の光が特に。行灯なんかが欲しくなる。

便秘は腸が詰まるのでガスが抜けずたまっていくわけだが、私はいわゆる精神的苦痛のタイプも傷つく、とかよりは暴発(爆発ではない)しそう、という感じで、体と精神の苦痛スタイルが同じってか、などと思った。

 

私は歯医者によく世話になるのだが、ここで気づいたのが、私は痛みには強いが苦しさには弱いということだ。

虫歯の治療をする頃には大抵神経まで菌がいっちゃってることが多いのだが、痛みというのは無感覚ゾーンみたいのをその中に見つけることでダマシダマシみたいなことをすることができるが、ずっと口を開けていなくてはいけないとかそういう(息)苦しさとかのがストレスがすごい。苦しいというのはとにかく苦しい。苦しさというのは感覚に回避スポットみたいのが無いような気がする。

 

 

基本、人の声が聞こえすぎる。その時のコンディションにもよるが。微細な音でも拾ってしまうっていう意味ではなく、たとえば音楽においては音質には鋭くないが、声で言ってることの出処というかその場面というかそういうものが直に入ってくる。それで、音楽ならいつ聴くか、誰のを聴くかって選べるけど、不意に入ってくる不特定の声の情報量がすごく多いと気づいた。

感情100%のせて喋るタイプの人とその声が苦手。神経を逆撫でされる様というか。自分の体が緘黙的だからすぐさま発露できるひとへの羨望もあるのかもしれないが。

村上春樹

自分が世界と均一なとき/世界を見失っており立てないとき/自分が世界に没入し
てるとき/
没入してるときは大抵雨が降っている。とけ込んでいると意識のみになって体がカ
ンモクになる。
10年前に、いわゆる読書体験だった『ねじまき鳥クロニクルの一章を再び読ん
だ。(没入した分だけ返して?くれる長編小説かとおもう。村上さんの長編の中で
一番影響あった。いっても他の長編はカフカノルウェーのしか読んでないが。短
編集だと『TVピープル』が好き)
10年前に読んだとき、初めて読んだのに既に知っているという感覚があった。と
いうか文章と自分の体が呼応しているみたいな。いったん文章を読んでそのあと現
実にそれをじわじわと溶かしていったりもした。(この小説と自分の中と世界が繋
がってるような感じだった。)
で、今読んで、10年前に触発されて浮上したものを10年間くらいで自分が生き
て経験で実証?したみたいな。潜在的に色んな解体の仕方を試していたのかも知れ
ない。ちなみに10年前に読んだ時も梅雨だった。湿気をバックグラウンドに読む
とよくわかる。『ねじまき鳥クロニクルは今の自分の人間観の地盤になってい
る、と気付いた。
10年前印象的だったところは
日蝕で死んでいく馬
クレタの痛み
・暗渠
・シナモン
・君には私を すことはできない
・アヒルのヒトたち
中尉の「死ねなかった」ということって、あとX年後には忘れ去られてしまうのだ
ろうか。
メイが「世の中の人ってすごおく真面目に働いてんのね」って言ってて、
実際、私は会社に居たとき、狂躁的善性のようなもので「すごおく真面目に」働い
ていた。自分はそれを正しいと信じているんだけど結局そこから離れたら徐々にそ
のときのことは忘れていった。一時的な集団的主観でしかなかったのかもしれな
い。
 
海辺のカフカ』読了した。
去年、宿曜占星の本読んでたおかげですんなり読めた気がする。(生きながらにし
て「業」とか「胎」を行き来する、という感じととらえていた。)
私は15歳の頃は私が私であることが何より酷だったのだよな。死ぬことより酷
だった。だから死なない(死ねない)気がしていた。
苦しみを説明できない間は(事象をことばでならべたところでその苦しみを再現で
きない間は?)その苦しみを保持して生きていないといけない。佐伯さんのところ
でそれを感じた。あの絵(を託すということ)は祈りのようなものかも知れない。
大島さんの「この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きな
いものはだいたいにおいて退屈なものだ。僕の人生には退屈する余裕はあっても、
飽きているような余裕はない。」という言葉が印象深かった。
ナカタさんのところをちょっとまた読んだ。文庫上巻の175~176頁のところ
(無意識とか深層)。あと256頁のところ(怖がること、痛みを想像すること)
が興味深い。自分が過度に何かを怖がるときにはこの感覚を取り出したいとか思
た。あと引率女教師の手紙のところ。いたたまれない。ナカタさんの家庭(そうな
る以前の)を想像すると、自分の中の何かと焦点が合う。私はそんな風に生きてき
てはいないが。確と血?が反応してしまう。あと”「たてまえ」で生きている時
代”とあったが、そうだよな。そういう時代からよくここ(現代)まで来たよな、と
思った。後ろ髪を引かれながら人が自由になる。
私はそんな風に生きてきてはいないが。って書いたが、思い出してみたら、あっ
た。殴られるとかじゃないが、悪いことしたら叩かれたり異常な剣幕で怒られたり
した。悪いこと、というのは親にとっての悪いこと、であり倫理的人間的に悪いこ
と、ではなかった気がする。「ちゃんと」という基準(規準?)だった気がする。
ちゃんとみんなでご飯を食べる、とか。(私は団欒が嫌いであった。4人家族が正
方形のテーブルに座って朝ドラ見る、みたいな。)
「ちゃんと」って何処から来てるんだろうと思っていたがやっぱ戦中戦後なのだ
うか。当時の強迫観念のようなもの(当時ほどの濃度ではないにしても)と暴力
(当時ほどの濃度ではないにしても)があわさってスリコミみたいになって今も
残っている。

レコード

いまさらビートルズ(『The BEATLES Disc1,2 produced by George martin』ホワイトアルバム)きいた。ほんとにいろんな音楽家が影響受けたんだな、と特に音楽通でもない私でも、どの曲からも思うことができる。
人間の知性知能は情報処理とか正確に言葉を使うことで、生物の知覚というのは正確にレコードするということだ。
人間の知と生物の知で、抱えきれるはずのない膨大な時代を封したのだ、日出から落日まで、と思った。今には失われた(←悲観で言ってない)煙が充満している。
 話は変わるが、「後世に伝えていかなくてはならない」という言い方があるが、記憶の粒子のようなものは個々の血の中に入っているというイメージがある。
げんに私の中に、生きていない時代に起こったことであってもその感覚を再生できる「なにか」がある。
自分より若い人、というのは自分の生きた時代を克した時代を生きているので、すでに知っている(忘れているかもしれないが)というか、生きる知恵は上回るのでは、と思う。時として先人に学ぶこともあるだろうけど。

10年前のひとり暮らし

私が「人心地がついた」のはつい最近のことだ。

家のドアを開けたら■される気がしたもので、さらにドアから出かけていったら戻って来れない気がしていた。そんなアレな感じの人間だった。

今から10年前、ひとり暮らしをしていた。そんなアレな人間がひとり暮らしをするなよというハナシだが、実家(田舎)も嫌いだったしそれなりの?年齢だったし誰かと一緒に暮らせるほど他人を信用できないしこのままでいたらどうにかなりそうな鬱屈の日々だったしで、どうにかしました、という感じでとにかくはじめた。不安しかなかったがどのみち何をするにも不安しかなかったので当時は、やけっぱちの行為です。

都市部に近い郊外に住んでいた。私が住みはじめて数年経ってから美化運動がなされるようになり夜に清掃車が通っていたようなのだが、それまでの間はけっこうひどいものだった。部屋はというと、木造の6畳1Kだ。「1K」と言いたいがためにとっさに取り付けたんじゃないかと思われる「戸」があった。その戸は本当に立て付けが悪く、閉めるときゴトゴトゴト・・・・と荷馬車みたいな音をたてる。となりの部屋が戸を閉めればやはりゴトゴトゴト・・・・ときこえてくる。しっかりきこえてくる。木造とはそうである。そして揺れる。トラックが近くを走れば震度1くらい揺れる。

引っ越してしばらくはまだ実家に「あっちの私」が生活しているような気がしていた。「こっちの私」はまだ新しくて影が薄かった。だいぶ経ってからようやく同一人物に成れたような気がした。

やけっぱちではじめたひとり暮らしだったが、再現可能の範囲でどこまで原始生活に近いアパート生活を送れるか、という野心のひとり暮らしでもあった。洗濯機なし(手洗い)、冷凍庫なしというリトル縛りでやっていた。(そのわりにTVとネットはあるという。)最初は楽しめるのだけど3年もすると辛くなった。結局文明に頼らないと疲弊するとわかった。敗北。

さらに、くわしいところははしょるがイロイロあって(自分の半生の中で一番不可避な状況・状態だった)帰還!するわけだが。その後の話は「幸せについて」で書いた通りです。