Kathy's Diary

不定期でひそかにやってます。

死語 (昭和生まれ)

我々昭和生は昭和世代の呼気を吸っている(親などから)世代で、ぼうりょくそのものではないがその余波を受けている。それに応じる身体性とか懐疑的な物の見方など。
新時代への移行期の「勝ち負けがフラットになる」とか「危険因子がすべて取り除かれたり禁じられたりする」ことに最初は私の中に違和感というか異を唱えたい感があったのは事実。いったら自分が体をぶっ壊すまではあった。

で新時代に入り、
「安寧」というと、へいわぼけとかキレをなくすとかそういったイメージで解釈されがちと思うが、それは我々が真の安寧を知ろうとしていないだけなんじゃないか、と思うようになった。(苦しみが長かったから安らかであるということに体が反応しにくいのだと思う。)そこには我々の知らない世界がある。
「平和を当たり前に思ってはいけない」、「苦しみを決して忘れてはならない」と今まで伝承されてきたが、そのままでは先に進めないという分岐点に今来ているという気がしている。


「愛と憎しみは表裏一体」のような箴言?に引っかかりを感じる。
「愛」と「憎しみ」は質も格も違う。じゃあなんでそんな言葉があるかといったらそう言わなくてはならない時代があったから、感情も猛然として整理するいとまもなくひたすら前に進まなくてはならなかったからなのだと思う。