Kathy's Diary

不定期でひそかにやってます。

ジョブ戦記

 私は社会に出る前は、夢だけはいくらでも見ていられる花畑人間であり、「働くこと」が、というよりはもはや現実が嫌いであった。笑止。

 個人を埋没させることに慣れていなかったし、納得もしていなかった。あともう経済そのものがなんか憎かったのであった。「効率の良さ」すら目の敵にしていたおぼえがある。

 そんな感じだったのだが社会人といわれる年齢になり、押し出されるようにして社会人になってしまった。

 仕事を始めたばかりの時は、8時間で最初っから全力疾走ペースでやったりだとか、何をどこまで自分の考えでやっていいのかがわからなかったので何でも訊きまくったりだとか、とにかく匙加減というものがわからなかったので毎日奮闘した。「あんばいをわかっている人」に対して、大いに羨望を向けていた。

 それでいて「ミスったら死ぬ」みたいなプレッシャーも手伝って(学生時代は「遅刻したら死ぬ」と思っていた。)もうバーサーカーみたいな覚醒状態で仕事に臨んでいた。

 経済が憎かった、とか言ってるわりにガッツリやろうとしてるって感じだが、私は我を通しきる程強くなかったというか、会社に来てしまったらもう仕事をやる、というスイッチが勝手に入るというか、サボるとか手を抜くとかそういう回路がないのだ。

 やってもやっても上手くできないような気がして、そのできていなさを埋めるために皆より10分はやく仕事はじめたりとかしていた。常に罪悪感があった気がする。鏡を見ることができないような。

 そうこうしているうちに、限られた時間内に一番有効な手を繰り出すFFで言うところの「ATBアクティブタイムバトル)」みたいな思考の仕方に辿りつき、ゲーム的な落とし込みを自分の中でするようになっていた。

 結局、目の敵にしていた「効率の良さ」を私は会得したのである。

 


 朝起きて、自分にプレッシャーをかけ、テンションを跳ね上げさせる。そして仕事に関わりない徒然な感情なんかは枝打ちして、ドアを出るまでの間にフラットな会社の為の人格を作り上げておく。その自我の改竄みたいのを完璧にマスターした。

 その一方で、「個人」の感情を保持している人に対して、すごく苛立ちを感じはじめた。自分が、社会とか会社に順応できてしまえることが辛かった。没入してしまう、属してしまう、同化してしまう。(『コンビニ人間』の古倉さんの逆、ということなのだろうか。)

 社員の人に正月休みに入る前、「実家に帰るとか、”懐かしい”ですよね」と話しかけられて、私は腹の中で激昂した。なに”懐かしい”とかいう感情を自分の中に残してんだよ、と思ったのだ。

 会社以外でも、自分の人生の為に自分の感情を使えることが出来る人への羨望が起こるようになった。正直に言って、暴発寸前だったと思う。

 そんなさなか結局身体を壊して退職するわけだが、「我に返った」ら、わたしは一体どこで生きていたのだろう?という感覚になった。「何か」の為だったのだが。その「何か」は失せ、一体何だったのだろう?と思った。でもこの至りには美しさがあり、仕事したての頃はここに到達したかったんだよな、というのはあったのだ。

 そして仕事を辞めて、朝起きて、「朝って毎日違うのか」と思った。